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【太平記】第4回「帝、ご謀反」NHK大河ドラマ感想

太平記

【太平記】第4回「帝、ご謀反」あらすじと感想

なかなかインパクトのある第4回のタイトル!帝が謀反をするという矛盾というか違和感を感じるタイトルですが、それが確かにその通りなことがこの時代の不安定さを物語っています。


高氏が訪れている京では正中の変が勃発し六波羅軍が反幕府勢力を次々に襲撃。そんな混乱の最中高氏は上杉の館に戻る。主人と離れてしまい、命が縮む思いをした右馬介との再会。六波羅は日野俊基を血眼になって探しているという。
高氏は日野に会い、京を見て、「世の中は動くぞ。動いておるのじゃ。腐り切った世の中を変えるため日野殿に逃げてほしい」と話す。
しかし右馬介は厳しい顔で「六波羅探題に若殿が日野とお会いになっていたと密告したものがいる」と伝える。若殿にも直々お召しがあるのは必定との事。

「やばっ」っと、ちょっと目が泳いでしまう高氏でありました。



日野俊基を案じ文を書いている花夜叉に、佐々木道誉は「日野様はもはや詮なきお方。文などよせよせ」と一言。花夜叉は日野俊基の動きを六波羅に密告したのは道誉でないか?と問うが「夜叉、おぬしも不思議なおなごよのぅ」とはぐらかす。

高氏に文を書こうとしている藤夜叉に、石は「足利高氏様への恋文か?あのお方はもはや詮なきお方。文などよせよせ」と道誉の言い方と真似する。藤夜叉はキッと石を睨む。
藤夜叉は文を書こうとしたものの何を書いて良いかわからず忘れることにするとのこと。それを聞いた石は「自分の仇である足利をおぬしが好きにならなくて良かった」と安心するのであった。


六波羅の役人に謀反人日野俊基と会っていたであろうと詮議にかけられる高氏。「会ってない」と否定するものの、詮議にかけられていることは鎌倉の知るところとなり、父の貞氏にも伝わった。
「子というものは不思議なものだ。京都にあっても、遠くにいても、親を刺す」子を案じつつも、高氏が詮議にかけられたという事実だけでも北条からの付け入る隙となってしまい、足利がまた苦しい立場に。

金沢貞顕は長崎円喜に、詮議にかけられている高氏をよしなにと願う。円喜は「大丈夫」と軽い返事。

友である貞氏に「円喜殿がああ仰せなら大丈夫!上首尾!」と満足気。
また貞顕は「お主との仲じゃ」と伝えるもやはり高氏詮に関してはやばいと思っている様子で「日野俊基はマズイ。日野の後ろにいるのはただならぬお方」と「今回の謀反の企ては紛れもなく帝から出たもの。帝の御謀反じゃ」貞氏も「帝の…御謀反…」と改めて愕然とした顔を見せる。

京の朝廷では、幕府への謀反の疑惑の釈明のために、関東に勅命を出すことに決まる。
実質詫び状であるその内容に対して後醍醐帝は怒りがおさまれない。公家が武家に詫び状を送るなど例がないが、公家一同は詫びるしかないと言った風である。天皇の乳父の吉田定房も無念ながらも詫び状やむなしとの見解であった。
時至らずかと観念した後醍醐天皇であったが、日野俊基を首謀者とし後は一切関わりないとするその詫び状により、見殺しすることになる日野に思いを馳せる帝であった。

日野俊基は京都の小屋に隠れていた。花夜叉の命で逃しにきた石がやって来る。しかし石に「逃げない

」と告げる。そして懐剣を差し出し、河内の楠木正成に「これが日野俊基でございます」と渡してほしいと頼む。そう伝えてもらえばすべてお分かりになると。
日野の良い世の中を作りたいという想いに感銘を受けた石は懐剣を預かる。

楠木登場につながる重要シーンです。
そして静かに小屋を出て六波羅に捕らえられる日野俊基を小屋の中から見つめる石。
いいアングルで苦しいシーンでした。


日野俊基が捕らえられ、高氏の六波羅での詮議も終わる。
馬上に縛られ連行される日野俊基と遭遇する高氏。そして高氏一行は鎌倉に戻るのであった。

鎌倉への帰路、藤沢まであと少しというところで「また御座所勤めに戻るのか」とまた日勤に戻ることを嘆く高氏。

わしは都を見てしもうたぞ!どうすればいい、教えてくれ右馬介!」と高氏。

長期休暇取った後に現実に戻るって辛いですよね。

後醍醐帝は素敵だったし、日野俊基の話は熱かったし、佐々木判官は変わってたけど、藤夜叉は可愛かったなと、希望のない若者にとっては刺激的過ぎる都での時間だったようです。


そこへ鎌倉の侍所の一団が現れる。高氏は捕らえられ、有無を言わさず鎌倉での詮議のために連れていかれる。

長崎円喜は「大丈夫」と言っておきながら、は高氏を捕らえる事を決定していた。
北条高時は帝御謀反の騒動もあって、高氏まで捕らえるのは騒々し過ぎると言うものの長崎円喜の決定は覆せなかった。北条高時は自分の意見はあるものの最終的には己の無力さを自覚してか、それとも途中で面倒くさくなってしまうのか意見をフッと引っ込める。

いずれにしても、はじめから高氏が日野と会っていた(本当であっても疑惑であっても)ことをこのまま放っておくつもりはなかった長崎円喜。

「足利の力を削ぐ」ことにまったくブレがない円喜。
「鎌倉幕府が永らえてきたのは危険分子を事前に刈り取ってきたから」と言う円喜の言葉にもあるように、鎌倉幕府の権力争いは単に私利私欲だけで片付けられない幕府の存続手段であり、はたまた開府以来の宿命をも感じさせます。


高氏が捕らえられたことは足利家にも知らされ、貞氏は侍所に急ぐのでした。

今日のハイライト


「わしは都を見てしもうたぞ!」と現実に帰りたくない高氏。

その気持ち、よくわかる!
温泉宿でしこたま飲んだ後や、大きな海にバカンスに行った後、東京が近づいたら同じような事言いたいと思います。

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