【どうする家康】第19回「お手つきしてどうする!」あらすじと感想
武田信玄の寿命が尽きようとしている。勝頼に己の死を三年隠すように伝え、また勝頼は自分の全てを注ぎ込んだ逸材であると告げる。ただし自分の真似はしないようにとも伝えた。
「黄泉にて見守らん…」と語り武田信玄はこの世を去った。
しかしその死は隠し通せるものではなく、家康の元にも武田信玄がこの世を去ったのは間違いさなそうだとの知らせが入る。
在りし日の信玄の姿と言葉を思い出す家康。
家康が喜ぶ家臣に「人の死を喜ぶとは何事か!」と一喝する場面がありましたが、史実の家康も信玄の死を惜しんだとのエピソードもあるのでそこからの描写だったのでしょうか。
後に武田が滅亡した後には遺臣たちは多くが徳川に召し抱えられ、甲州流軍学によって徳川は非常に強力になっていきますし、江戸時代には「神君家康公に教訓を与えた武田信玄」としても評価される武田信玄。(その一方で江戸時代には豊臣秀吉の評価はかなり下げられますが)
このドラマも語り部の口調からもその流れが踏襲されていますね。
武田信玄の死によって信長も天下に向けてますます動き出す。
将軍足利義昭を追放し、敵対する浅井長政を攻め滅ぼす。お市や娘たちは藤吉郎改め羽柴秀吉によって捕らえられた。
家康は武田信玄の脅威が去り、緊張の糸が切れてしまったのか力が抜けてしまった模様。
そんな中で侍女のお万に心を許す家康。
今回は一転してお万の方との出会いが描かれるみたいですね。
結城秀康の生母であり母子ともになかなか描くのが難しい人物かと思います。
かつての大河ドラマ「徳川家康」ではかなり壮絶な描かれ方だったような…。
岡崎の瀬名は信康の室、五徳に浜松で一緒に暮らすよう勧める。「自分が邪魔か?」と問う瀬名に対して五徳はそのような意図はないが、瀬名が居ると信康の甘さが抜けないとも指摘する。
お万は家康の子を懐妊する。半蔵は築山御前(瀬名)の侍女にお手つきされたとあれば大騒動になるとちょっと嬉しそうに話す。動揺する家康は誰にも言うなと命じるが、事態を知った数正たちは「この大事な時期に何をやっておられる!」と怒り岡崎に知らせてしまう。
事態を知った信康は「見損なった!」と怒り瀬名も「まさかお万が…」と驚く。
浜松にやってきた瀬名は側室を持ってもいいが正室を通さずに子を作った家康を責める。
お万は瀬名に泣いて詫びるが、瀬名はお万が家康に取り入ったそのことを「見事じゃ」と褒め殿から金子を得てそれでその子を育てよと言う。
お万は自身の行いを「女の戦い」と称し、恥じてはいないと言い瀬名に別れを告げる。子は立派に育ていずれ殿のお役に立つようにと。
正室の承認と言うかなりややこしい内容と、お万についての理解を瀬名が示すという内容は結構新鮮でした。と言うかこのドラマの瀬名の性格だとそれが最もしっくりきます。
築山殿が嫉妬に狂って、と言うような話になってしまうのかなと思っていたんですが、面白かったです。
お万は城を出て子を産みますがこの時点では「家康の子として認められない」と言うことになります。結局、産まれた子=結城秀康はそのことで後々まで苦しむことになります。
そしてお万が己の行為について語った内容は現代的と言うよりも当時の方がありそうなことかもしれません。
改めて瀬名に詫びる家康。浜松に来ぬかと言うが今しばらくと瀬名は言う。
信玄を失った武田。勝頼は岡崎に調略を仕掛け三河を取ることを決める。
その調略の対象には瀬名も含まれる。
遠江で家康の悪口を言う老婆。その悪評の中に家康の三方ヶ原での「焼き味噌」のくだりが入ってましたね。そういう風に処理するのもありかもしれませんね。
そしていよいよ岡崎城に武田の手が伸びていくと言うことでさすがに殺伐とした空気が徳川家に流れていくことになりそうです。
瀬名さん見ていると切ないなぁ…。
今回のハイライト
武田信玄死去
大樹に寄りかかって絶命する武田信玄。最後まで迫力がありました!
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