今日は大河ドラマどうする家康の第2回の感想を書いていきます。寒い寒いと過ごしていたら一週間経つのは早いものですね。
先週の初回がキャストの顔見せもありながら、駿府での日々から今川義元討死までをかなりのスピードで展開していったので、第2回目になってもそのスピードが変わらないのかそれとも変わってくるのかどうかを注目していました見ました。
【どうする家康】第2回「兎と狼」あらすじと感想
前回逃げ出してしまったもののあっさりと平八郎に連れ戻されてその後織田信長の襲来の報に怯える元康(家康)なかなかここまで情けない大河ドラマの主人公は記憶にありませんがそれが徳川家康だと思うとこれは賛否出るだろうなーと思いました。
今回の始まりの場面は竹千代誕生のシーンから。「寅年生まれの寅の化身」として松平家の期待を一身に受けての誕生。そして織田家に捕らえられての人質となる竹千代。尾張では信長のうつけ者集団、もとい子飼の家臣団と思われる若者達の中でのかわいがりのシーン。信長が子飼いの若者を集めて相撲に興じていたというのは有名な話ですし、これまでの大河ドラマでも何度もあったシーンではありますが、今回ここに無理矢理ねじ込まれる竹千代。可哀想に。これで「白兎、白兎」言われたら武士の子としては屈辱に塗れたトラウマでしょう。これでは尾張生活は地獄、駿府での人質生活は天国ですね。。
大高城を囲んだ信長は兵を引くも一刻も早く駿府に帰って妻や子に会いたい元康。一方で城主不在となったと知った岡崎城に入るよう勧める家臣団。
途中松平昌久の奸計に落ちて大樹寺へ落ち延びる一行。鳥居忠吉も負傷し、多くの味方を失ったとの自責から自害を試みるも、信長に「自分は虎だ」と反撃したことを思い出し自害を思いとどまる。あれ、平八郎とのやり取りは意味なかったの!?というか登誉上人が諭す見せ所のシーンじゃないの?とは思いました。笑
自害を思いとどまった元康は松平昌久を一喝し岡崎城へ戻ることを決断。岡崎に入ると頼もしく一同に檄を飛ばし表向きはちょっと頼もしく見せたところで本日はここまで。
これでとりあえず松平家当主として岡崎城主となって成長を見せていってくれるのでしょうか。
まだまだかかりそうだな…。
初回より流石にテンポは緩くなり、岡崎入城までの話となった二回目でした。信長との出会いと元康が持っている信長への恐れと、平八郎とのエピソードをしっかり出したかったんだなという印象です。
岡田准一さんの信長は相変わらず怖いですね!しかし思慮を感じさせるところもあってこれからどうなるかますます楽しみ。
大樹寺ではちょっと自害しようとしてから思いとどまるまでが長すぎるような気がして、こんなに長いシーンにされたら松本潤さんもこれは演じるの難しいだろうなと思って見てしまいました。
あとせっかく里見浩太朗さんを登誉上人でキャスティングしているのであればここは逸話通りに元康との対話の場面を作ってほしかった。
「厭離穢土欣求浄土」は徳川の旗印。武田信玄で言う「風林火山」のようなものなのでこの先エピソードで旗印に使うよーという感じに触れることはあるのでしょうか。
岡崎城に入った元康も「今川様は蘇る。織田を蹴散らす」と言っていたあたり、まだまだ親今川は揺らいでいない様子。そりゃあ信長に酷い目にあっていた尾張での生活より、義元に大事にしてもらってたし今川に心があるのは当然ですよね。また今川氏真も元康が生きていたという報告もそうですが、岡崎に入ったという報告にも好意的な様子で、岡崎入場とは言え独立独歩と話はならなそう。ここから今川からの独立に関して信長の謀があるのか、家臣団の意向があるのか、元康の気持ちに変化が起こる何かがあるのか。このドラマではどのように持っていくのか気になるところです。
ちょっと気になったのは徳川家康のパブリックイメージのひとつに「忍耐」であったり「思慮深さ」があると思ってて、人によってはそこに「本音を隠す」とかが加わったり。その源泉が織田、今川での人質生活という考察が一般的で、自分もそれはごく自然な考察だと思っています。誰であっても幼少期〜青年時代の体験ってかなり大事ですからね。大河ドラマでそのシーンが出てくる時はやっぱり後年の家康に繋がるように描かれていて「麒麟がくる」の竹千代の人質生活のシーンも常にヒリヒリしたものでした。
確かに「思慮深さ」だけでなく、徳川家康の特に壮年期までの人間性としては血気盛んな部分はたくさん記録されているのですが、今回の「どうする家康」における「人質生活の描かれ方」で、記録に残っている後年の徳川家康になるための源泉が存在しているのかがちょっと気になりました。
もちろんこれから描かれるシーンにそういうものがあるのかもしれませんし、どこまで上手く折り合いをつけるのかもしれませんし、もしかしたら無視して突っ走るのかもしれません。それはそれで興味があるのでいいんですが。
最後に冒頭の竹千代誕生の場面に戻って、父、松平広忠と母、於大の方が「本当は卯年(うさぎ)生まれだけど、強そうだし、数日前に生まれたことにして寅年生まれということにしておきましょう」というような話がありました。
実際に徳川家康が年末生まれで後年家康自身が「僕は卯年生まれだよ」って言っている文献があるので入っているエピソードだと思いますが、験担ぎや迷信などが信じられていた時代ですから、「強そうだから寅年生まれ!」と設定するのは当時としては結構あるあるだったみたいで改めて面白いと思いました。確かに殿様がうさぎの化身か虎の化身かでだいぶテンション変わるかも。笑
今回も比較的ポップというか信長や平八郎や於大の方の顔見せ、伏線を張ることがメインの回だったのかなと思いました。けれどはじめてキリッとした部分が出てきたり岡崎入城という重要な要素もあったので引き続き次回の展開も楽しみにしています。
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