【どうする家康】第17回「三方ヶ原合戦」あらすじと感想
いよいよ迫り来る武田軍。対する徳川方も各地で戦支度に追われている。
岡崎城でも信康や瀬名が浜松の家康を案じていた。
浜松では武田軍の動きの速さ、神出鬼没さに動きを掴みかねている。
堅城、高天神城も陥落しいよいよ信玄が目前に迫っていた。
加勢をよこす気配のない信長に対して家康は水野信元を通じて信長を「鷹狩り」に誘い出す。
信長を呼び出し加勢をよこすよう談判する家康。加勢三千も援軍は取り付けた。
信長と単身会うなどはフィクションが過ぎますが、信長が「わしとお前は一心同体」なんて言っても全然響かないですよ。
浜松に来た織田の援軍三千というのは通説ですが、近年ではもっと多かった説がありますね。
個人的は自分ももっと多かったと思います。この時点で援軍に回せる数はもっといたはずで、徳川に対する援軍をケチる理由は何もないんですよね。
白兎=弱い心を築山の瀬名の元に置いて浜松に戻った家康。
佐久間信盛ら織田勢三千も到着した。籠城の備えに入る徳川軍。
ひと月持ち堪え、信長の大軍を待ち岡崎勢が武田の退路を絶ってから武田に攻勢をかける作戦のようだ。
しかし信玄は決死の覚悟で待ち構える家康を横目に浜松城を通り過ぎていく。
「わしはここじゃ!かかってこい信玄!!」と叫ぶ家康。
浜松では信玄の真意を図りかねる。織田との戦を優先したのか、しかしこのままでは岡崎が危機に見舞われる。
武田を素通りさせたことで(武田の乱破の流言もあって)家康が遠江を捨てたと城下で噂になっている。
岡崎の危機を救うため打って出るべしと息盛んな家臣たち。
しかし平八郎は「打って出れば負ける」と言う。
家康は信玄からの「弱き主君は害悪」との言葉を思い出す。
遠江で戦うことに地の利は徳川にあると判断し家康は出陣を決める。追い詰める先は三方ヶ原。ここだと相手は身動きが取れないであろうとの判断だ。
しかし家康が出陣してくることは信玄の読み通りであった。武田軍はすでに徳川軍を待ち構えていた。
兵が少ない徳川軍が構えたのは兵が多い時に構える鶴翼の陣
兵が多い武田軍が構えたのは兵が少ない時に構える魚鱗の陣
お互いに定石とは逆の陣で戦ったのが面白いです。三方ヶ原の地形がそうさせたのでしょうか。
勝鬨をあげる武田軍。討ち取られた金陀美具足の武者が武田の兵に引きづられている。
それを木陰から眺めていたのはかつて家康の命を狙ったものの許された井伊虎松であった。
信長と会うくだりはさすがにどうにかしてほしかったですが、合戦前のやり取りなどは武田との戦いは生きるか死ぬかの決戦であるとそれぞれが覚悟しての戦いであったと伝わる描写だと思いました。
平八郎は意外に冷静に武田の力量を語っていました。さすが名将。
序盤に武田の様子を見て血まみれで帰ってくるシーンがあるのですが「返り血じゃ!」と強弁。
「生涯無傷」と言われる本多平八郎は、こういう意地を張ってのもの。とドラマで描いているのかもしれないですね。
三方ヶ原へ至る家康の出陣は、そのまま武田軍に攻撃せず浜松を素通りさせれば三河衆も(岡崎を除いて)家康を見限ったと思われるためやむを得ないものだったと思います。(大河ドラマ「武田信玄」で描かれた三方ヶ原の戦いの回では信玄の口からそのように語られます)
生涯の教訓となるこの三方ヶ原の戦いですが次回はその顛末が描かれるようで楽しみです。
今回のハイライト
かかってきてもらえない家康
「わしはここじゃ!信玄!」と叫ぶ家康が屈辱の表情で良かったです。後年の老獪さとは全く異なる時代の家康。
実際の家康も叫んだかどうかはわかりませんが怒り心頭に発したのは間違いないでしょう。
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